茶器 茶道具 骨董品 尾形乾山 青木木米 古美術

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志野
織部
黄瀬戸/瀬戸黒
美濃伊賀/その他

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茶釜/茶碗
水指/花生/鉢/香炉/香合
茶杓/茶入/向付/火入/その他

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尾形乾山
青木木米
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タイトル
【第2話】志野の名前の由来と登場はいつ頃?

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【第2話】
     焼き物の名前は
     1、瀬戸や備前、常滑など生産地から付けられたもの 
     2、縄文 弥生 など時代が名前になっているもの
     3、織部など人の名前が付けられたもの等があります

     志野焼きは人の名前から付けられた日本で最初の焼き物
     ではないかと思います。志野茶碗の名前がはじめて世
     に姿を現したのは室町末期の天文22年(1553年)です。
     持ち主の名前は奈良県の大財閥大茶人で志野流香道の
     始祖である志野宗信です。

     これは茶会を記録した茶会記に志野茶碗として登場します。
     しかしこの志野茶碗は2個有り1個は唐物(中国産)の白天目でした。
     天目茶碗に長石(志野釉薬)をかけた茶碗です
     それとほぼ同じ天目茶碗を瀬戸の名工に作らせ2個の志野
     天目が存在した記録が残っております。

     志野釉薬を使用した焼き物はこの頃作られたことが明らかに
     なっております。この二つの茶碗は志野宗信 武野紹鴎  
     今井宗久 織田信長が所持。名古屋徳川家(徳川美術館)
     と石川県前田家に伝世された志野天目茶碗です。

     現在知られている志野と推定される茶碗が、茶碗セトとし
     て(今井宗久 の茶湯日記)茶会記に登場するのはこれから
     10年後1563年(永禄6年)のことです。この年織田信長は
     瀬戸と美濃焼き生産地東濃を支配下におきました。

     織田信長の陶業振興政策により美濃地方の陶業はこの年
     以後大発展をとげていきます 永禄6年以後の茶会記では
     美濃焼きは全て瀬戸焼きと茶会記に記録されております。

     志野茶碗はその後度々登場しますが全て志野天目です.
     志野天目茶碗の技法が半筒茶碗に使われ志野茶碗が
     うまれました。志野茶碗の名前の由来は志野宗信の名前
     から付けられたものと考えられています。
    

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